厳暑
八月も残り半分です!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
この記事を見ている皆さん、八月をどうお過ごしでしょうか。
誰しもが夏に思い描く情景というものは異なるかと思います。
私が思い描く情景は""エンドレスエイト""だったりするのかな、なんて思います。
涼宮ハルヒを中心とした、宇宙人未来人異世界人超能力者を束ねたあの集団が一夏を繰り返し繰り返していた、あの夏を思い出します。
そんな夏が私にとっては最高の夏、と呼べるものではないかなと夢見たりしていますが、もう一度言います
八月も残り半分です!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
世間では、という様な言い方だとみんな言っているぞ!といった感じなので、言い方を変えます。
SNS上では、平成最後の夏だ何だと言われ、そんなことを言ってもこれまで平成の夏を平凡に暮らしてきた人間が急に「最後だから!」なんていう理由で存分に楽しめる訳が無いのです。
かくいう私はそこそこに楽しめていますので「最後」と言うには相応しいのかなとか思っております。
そんな「最後の夏」を平凡に過ごしているかもしれない、この記事をご覧の方へと送る私のInstagramのURLを貼っておきます。平凡でも少し空を見上げると、とても綺麗な雲であったりが見られるかもしれないので、平凡な日常に転がっている美しいものを見つけてみるのも良いかもしれません。私は少なからずそう思っています。
Instagram post by @vislct • Jul 29, 2018 at 8:45am UTC
と言っても最初の花火は非日常であるので、そこは多目に見て頂けたらなと。
初めは「写真」といったタイトルにしようかと思っていたのですが、「夏」にしよう!と思い立ち、二文字が良いな、ということで今年の夏のイメージをタイトルにさせて頂きました。
この記事を最後までご覧になって頂けたならば幸いです。
またいつの日か。
感覚
我々はよく""普通""であったり、""当たり前""等と
口にしてしまうことが多いように思われるが、
一体その""普通"" ""当たり前""とは
何なのかを考えたことはあるだろうか。
私が思うにそれらは経験やこれまで育ってきた暮らしてきた環境に依るものであると考える。
それを至極、誰しもに共通しているものだとヒトは認識し、使ってしまう。だが、実情は誰もが共通している訳ではない、限られた枠組みの中での認識なのだ。その点を少しでも理解することで他者との関わり方を考え直すことが出来るのではないか。今一度、普通や当たり前という言葉を使う前に「それは””自分にとっての””普通であったり当たり前ではないか」ということを考えて欲しい。無意識のうちに発言してしまうことが多い中で、やはり人は見ているところは見ているので気にし過ぎでは?という考えもあるだろうが、意識をしてみて欲しい。この話は以上です。